「さようなら」と言われたときは・・・

「さようなら」

また会えるとわかっている時はただの挨拶。

また会えるかどうか分からないときはちょっとした儀式。

もう絶対会えないときは・・・。

 

友達が少ない。

あまり電話をかけない。

だから電話もあまり鳴らない。

 

というよりほぼ鳴らない。

 

でも連絡先を知っているだけで安心できる。

だって本当に会いたいときには連絡できるから・・・

そう本当に会いたいときに会える人そんな人が友達なのかも。

 

でもでも。

 

ある日突然

「今まで本当にありがとう。」

それだけ言い残して消えてしまい、電話がつながらなくなった友達がいたら・・・

 

ある日突然

携帯電話が水没してしまったら・・・

 

うーん。

「さようなら。」の予感もせずに消えてしまった人たちがいる。

 

大昔は携帯電話もなかったし、固定電話も引っ越してしまえばそれきり。

だから

「縁」だの。「赤い糸。」だの。

この世にあるのか無いのかわからないものに縋り付いて生きていけた。

それだけに人とのつながりももっと大切にしていた時代があった気がする。

 

「一期一会」も実感できた。

 

でも今はあまりに便利な世の中。

本当に会えなくなるなんて考えられない。

それだけに、もう会えないと分かっている「さようなら」への耐性がない。

 

でも本当に会いたい人がいるときは

「縁」だのなんだのを信じてもいいのかも。

 

「もう会えない。」と思って泣きながら生きるより。

「きっと会えるさ!」そう思って生きているほうがよっぽど楽しい。

 

人生なんてどうせ暇つぶし。

だったら「楽しく」生きてみよう!

年齢を感じるということ

「人間は一瞬にして年をとる。」

ある本の一節を読んで共感する。

 

1日たっても「昨日より歳をとったなぁ」とは感じない。

でも1日1日が積み重なって今の年齢になっていることは間違いない。

 

人はある日突然「歳をとる」のではなく、

ある日突然「歳を感じる」のかもしれないと思う。

 

きっかけは、いろいろ。

たとえば

「白髪が増えたなぁ。」

「大人に見えていた「甲子園球児」が若く見えるなぁ」

「傷の治りが遅いなぁ。」とか。

 

でも素敵に年をとりたいですね。

いつまでもキラキラしていたい。

 

そのために出来る事。

今を楽しむことかもしれない。

 

やりたいことを沢山しよう!

会いたい人に会いに行こう!

たくさん自分を褒めよう!

 

わがままでもいいのかも。

そんな風に生きてみよう!と思うこの頃です。

手紙

手紙っていいですよね。

昔もらった手紙を思い出すことがあります。

6角形に折られた薄茶の便箋。

 

相手に何かをする伝える方法って色々ある。

話す。電話。メール。ブログ。ツイート。

それぞれに素敵な方法なのだと思う。

 

でも、殊更に手紙が好き。

 

なぜだろう。

 

それは相手を想像させるからかもしれない。

 

手紙は即時性がない。

どんなに早く届いても、やっぱり時差がある。

だから、手紙を書いた時の気持ちや、今の気持ち、そして返事があるかどうかという少しの不安、読んでもらえたか?届いたか?

送った相手が思っているかもしれない気持ちに想いを馳せる。

 

こんな風に相手を優しく想うことってメールではあんまりない。電話で話しても言葉以上のものが伝わったり、色々と想像する余裕がない。

 

だから、手紙が好きなのかも。

 

20年前の手紙を読み返してみようかなぁ。

 

 

 

 

 

 

『悲しさ』の単位

『新しい単位』という本が好きでした。

まぁ、かなりユニークな本で、若いころは大笑いをして読んでいました。

でも、今思うとかなり深い。

例えば『悔しさ』などの感情の度合いを伝える時に、どう言葉にしますか?

『すごく』『ものすごく』『泣きそうなほど』『微かに』などありますが、ある程度の語彙力と知性が問われる気がしますね。

でも、

自動販売機で押した飲み物と出てきた飲み物が違った時の悔しさを1JC(自動J / C違うじゃん)としたとき、カップラーメンの半分でポットのお湯がなくなる悔しさを5JC。••••••••友達にはあげた宝くじが実は1等だっとき10000JCとする。』のように悔しさの単位をJCとした場合、今の悔しさは3JCだね。と伝えると何となく相手に伝わる。共感出来る。

 

何だかふざけた話ですね。

でも、大真面目に考えてしまいました。

 

こんなことを思い出したのは、カウンセリングを受けた後のときでした。自分の気持ちの度合いを伝える言葉が出てこない。うまく伝えることが出来ない歯痒さを感じたときでした。

本当に辛い時は泣くしか感情を伝える術を持っていないのは悲しいと感じました。

また、大好きな人にどれだけ好きか伝えることにもいいかなとも思いました。

でも、ふと思います。

単位に出来ない曖昧さ。

表現出来ないから、精一杯努力すること。

これが生きる醍醐味なのかも。

 

想像力だけが傷つける

確実に傷つける(傷つく)方法があるそうです。

まぁ。傷つけるといっても心的になのですが。

『誰かを傷つけたい』という悪意がある利用ではなく、意図せず人を傷つけたくないとか、傷つきたくないという興味で読んでもらえたらと思います。まぁ。護心術ということですね。

 

ポイントは『想像力だけが人を傷つける』という人の特徴を利用するらしいです。

 

例えば、悪口をいう。

『••さんって••••••(←抽象的な悪口)だよね。』と言う。

その次がポイントで、軽く言葉を添える。

『皆んな言ってたよ〜。』と。

 

すると言われた人は勝手に想像する。

『(抽象的な悪口)とは?』

『みんなとは?あの人も言っているのかな?』

この想像が人を傷つけるらしいのです。

 

でも思う。

悪口ではなく、褒め言葉を同じように言われたら•••

うん。やっぱり嬉しい!

 

傷つくのも、嬉しいのも、人の気持ち。

人の気持ちって、想像力が作り出すのですね。

これを利用してポジティブな人、人に優しくなれる人になりたいなぁ。

 

 

 

 

愛情の対義語

愛情の対義語は『無関心』

よく言われている言葉ですね。

憎しみではなく『無関心』

 

ここ数日は失恋ブームでした。

いい歳になってまで、何とキラキラしていたのかなぁ。と思う。

 

とても辛かった記憶はありますが、今は実感を伴わない。

 

きっと『無関心』になってしまったからかもと思い、いろいろ試してみました。

 

泣ける映画を見直しました。

あれ!

泣けない。

なんの感情も湧かない。

 

大好きな本を読んでみました。

あれ!

まったく内容が頭に入らない。

 

思い出の場所にも行ってみた。

あれ!

何も感じない。

 

ひょっとすると…

『無関心』になったのかも…

 

でもまったく、嬉しくない。

でもまったく、悲しくもないし、辛くもない。

 

これが普通ということなのかなぁ。

 

でも少しだけ分かったこと、

今、辛くても、じんわり消える。

今、信じられなくても、嵐は消える。

ということ。

 

部屋の片隅で、ひっそり泣いている人がいたら伝えてあげたい。

 

大丈夫だよ。

愛情はなくならないよ。

愛情の対義語は『無関心』ではない。

愛情の対義語は『平穏』なのだから。

 

今、わたしは平穏なのだと思う。

新しい感情の種を蒔いまくタイミングなのかもしれない!

なるべくポジティブな種を蒔こうと思う。