生まれ変わりかなぁ
時々ふと思う。生まれ変わっても自分でありたいか?
人生の中で2度だけ、初めて会った人に『ビビっ』っときたことがある。2人とも所謂、どストライクの容姿ではなかった。
1人は思い出の人。
1人は今の人だ。
兎に角、その後私の人生に深く関わった人だ。
ひょっとしたら、自分の人生は、一度体験済みだったのかもと思う。そして前回の人生で死ぬ瞬間に会いたいと思った人に、生まれ変わって会えた時『何かを感じてビビっときたのかも…』と思う。だとすると、今後もし同じ感覚を感じた人がいたら…と思ってしまう。
そこで、又、ふと思う。
『もう1回、同じ人生を歩みたい?』
とってもシビアな話。今の答は『微妙』だ。
言葉が好き3
言葉が好き。
人が使う言葉って、
なんだかその人の『人となり』を表してしまう気がする。
かく言う私も、言葉には自信がない。
(だったら書くなよ。というツッコミはスルー)
でも自信がないから、出来る限り真摯でありたいと思ってはいます。
職業柄、いろいろな本を読む機会が多い。
文体からその人を勝手に想像することも多い。
そんな性癖のある私は、電車の中で読書している人がいると中身が気になる。流石に覗きこむなどというハシタナイことはしません。(きっと、私は育ちがいいのです。)しかし、書店のブックカバーがついていない本を読んでいる人を運良く発見してしまうと、もう止められないのです。タイトルだけならと見てしまいます。そういう場合、大抵、期待外れのビジネス書か英単語帳だったりするのです。
で今度はブックカバーのついている人が気になってくる。それでも、私は親の教育が良かったせいで、覗き込んだりはしません。でも、読んでいる人の佇まいから内容を想像してしまうのです。
ここまでくるともう『育ちの良い変態の領域』
ここでふと思う。
『なぜ、そんなに気になるか?』
きっと人が好きなのです。
少しでも人と共感したい。そんな気持ちが根底にある気がします。『人は他人を100パーセントは理解出来ない。』理解出来ないけれど、『共感』は出来るのでは?という希望があるのです。
最近は、電車の中で本を読んでいる人が本当に少なくなった。不思議とスマホを見ている人の中身は気にならない。世代の違いかなぁ。
いや。
育ちが良いからだろう。
言葉が好き!2(大好きだった人へ)
やっぱり言葉が好き。
高校時代に付き合っていた彼女。
『あぅー』
マイナスなことがあるとよく言っていた。
知的な彼女は、しっかり言葉を知っていて、擬音語に頼らなくても伝えたいことを伝えることができる人だった。
そんな彼女でも、『あぅー』としか表現出来ない出来事。痛すぎるのではないけど、ちょっとだけ誰かに共感してほしい出来事について、彼女は『あぅー』と表現していた気がする。今から思うと懐かしい。
そんな彼女でしたが、ある日、私の下駄箱に手紙を残してくれました。
『アイスが美味しいと感じる場所で待っています。』とだけ書いてありました。
私はすぐ高校近くにある公園を思いました。
そこに向かうとブランコの上に彼女がいました!
その後アイスを食べたかどうかは覚えていません。でも、共感出来ていたこと、共感出来ることを信じてもらえていたことが嬉しかったことを鮮明に覚えています。
当時はまだ携帯もなかった(ポケベル世代なので…88の番号が懐かしい!)ので、もし、私が彼女の謎を解けなければ、どうするつもりだったのかなぁ。
もう聞くことは出来ないけれど、今、こたえがとても知りたいです。
言葉が好き!
若かった頃は、好きな人のタイプが話題になることが多かった。
当時は、自分のタイプがよく分からなくて、綺麗な芸能人などを例にあげていた。
ある程度歳をとってから、付き合った人を振り返ると。
顔やスタイル、なんだったら年齢すらバラバラ。敢えて共通点を探すなら‥
『みんな女性!』
くらいのものでした。
でも最近、気が付いた、
『言葉が素敵なひとが好き!』ということ。
『言葉の使い方』というか、『選びかた』(組合せ)、『リズム』が合う人が好きらしい…
そう言えば、京都弁、富山弁、なんだったら英語を話す人を好きになったこともある。
やっぱり『無いものねだり』なのかも…
ヤモリ発見‼︎
二重虹に続いてヤモリ発見‼︎
金運がアップするらしい。
なんだか、オカルト的なブログになって来ている気がするけど、まぁ、いっか!
目がカワイイ!
足もカワイイ!
足を見るとポニョを思い浮かべるのは私だけ?
強迫性障害との戦い2
強迫性障害って、怖い病気ではないと思う。
でも、辛い病気であることは間違いない。
私の場合、確認行為(戸締りがキツイ)と、洗浄行為(手を洗い続ける)がひどかった。医者からは、出来る限りこの行為を減らすようにアドバイスを頂く。
でも、普通の人には分かりにくいと思うとで、例えるならば、こんな感じ。
手すりも、仕切りもない屋上の真ん中。
30歩歩けば、確実に落ちる。
ここから目をつむって、ゆっくり、20歩進む。
科学的にも、歴史的にも、20歩で落ちた人はいないから大丈夫だと伝えられる。
あまりの不安に、途中で目を開ける。
すると振り出しに戻される。
こんなことを一日中繰り返す。
でも、最近、気がついたのです。
確実に20歩進める方法を。
機会があれば紹介します。
強迫性障害との戦い1
実は、私、強迫性障害でした。今も寛解とまではいってませんが、一時よりだいぶ良くなりました。強迫性障害というのは、強迫観念に縛られ、強迫行為をやめられなくなる疾患です。戸締りが気になって何時間も確認したり、不潔に思い何時間も手を洗ったりするなど、人によって様々な症状がでます。日本でもかなりの人が患っているらしいです。でも一方で、認知度の低い病気でもあります。私自身、そのような病があることを患うまで知りませんでした。
で、この病の辛さは、周囲から全く理解されない点にあります。普通の人から見れば、血が滲むまで手を洗ったりするなんて意味が分からないですよね。
でも、患っていた身として言うと、本当に辛いのは、私自身が『私は変だ。』と自覚していることだと思う。これが辛かった。
少しずつ自分が壊れていく感覚。
そして自分自身で変だと自覚しているだけに、この行為を隠れてする。
止められない自分。
自分が自分のコントロール外にいるのに、確実に精神力と体力を削がれていくのは自覚する。
終わりなき戦いに感じました。
少しでも多くの人にも理解してもらいたいと思い書きました。しばらく、この話を続けてみようと思います。
宜しければ、お付き合いください。